Career Leaves ブログ

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昭和と平成の相克2:チャンスは自分で掴む

タイトな背広がよく似合う若者が、新宿駅改札の人ごみの中からスーと私の前に表われました。遅くなってすみません、と深々とお辞儀する動作がきびきびしています。細身の筋肉質で、一目見てスポーツをしてきた人であることが分かる体型です。「中学から大学までバスケットボールで鍛えました。もっとも今は、接待ゴルフばかりですが」、と日焼けした顔に白い歯が覗きます。

竹田雄二さん(三〇歳)は明治大学を卒業後、日系中堅メーカーに営業職として勤務しています。持ち前のフットワークを活かして、顧客企業に足しげく通う営業スタイルで成績を伸ばしてきました。会社からもその仕事振りが評価され、同年代の営業マンに比べ約一〇〇万円多く年収も得ています。破格の待遇であり、次世代の幹部候補最右翼といったところです。「現職に特に不満はないですし、営業の仕事をずっと続けていきたいと考えています。」

ではどうして私に会おうと思われたのですか、と訊ねると、「年功序列を前提とした現職企業では、将来にビジョンを描けない、確かに年収面では現状に満足しているが昇給が早かった分ここから先はあまり期待できない」と言います。では報酬が第一優先なのかというとそうではなく、「定時で帰って自分の倍の年収を得ている五〇代の先輩社員を見るにつけ、納得できない。自分も二〇年後には彼らと同じような抜け殻になり、彼らを見て今の自分が感じるように若い社員から見られるのかと思うと、このままでいいのか、と考えてしまう」のだそうです。さらに、人事異動の慣例では、今は東京に勤務していますが次は地方に転勤することになります。「地方勤務が嫌というわけではありません。ただ、今よりエキサイティングな仕事ができるか、期待は薄く、自分のやりかたには合っていない」と感じています。

年功序列というシステムは、終身雇用を前提に、仕事内容や貢献度とはあまり係わりなく若いうちは低賃金に抑え、年を経るにつれ地位も年収も上がっていくものです。上述の五〇代社員にしてみれば不当な厚遇では決してなく、若いときに貰わずに会社に預けていた分をある意味利子をつけて、今返しえもらっているようなものです。そうした循環が保証されていた時代の、つまり《昭和の若者》は、今は下積みと我慢ができました。都市部と地方を交互にという人事異動の慣例も、公平に機会を与えるルールとして必ずしも悪くはないのですが、竹田さんのような日々挑戦し、前に進みたい意欲に溢れる社員にはもどかしいシステムに映ります。

竹田さんは就職氷河期と言われ、終身雇用の崩壊がクロースアップされた時期に大学を出て、厳しい就職戦線に臨んだ世代あり、昭和的仕事観あるいは会社観を鵜呑みにはできない《平成の若者》です。彼が求めるものは仕事の遣り甲斐であり、成果に相応しい評価と待遇です。さらに、いつまで続くか心もとない終身雇用に頼る気はなく、信じてもおらず、今貢献した分は今欲しいということです。

かつて企業が新卒の若者に求めた資質は、与えられた仕事をつべこべ言わずこなすゼネラリストのそれでした。上の命令には従順に従い、頭よりもまず体が動く兵隊、いわゆる体育会系の人材が好まれました。希望配属先を聞くのは形だけで、組織の都合で新卒は振り分けられました。たとえば商社の場合、たまたま配属が食品部門であれば彼・彼女は、多くの場合定年まで食品や食品原材料買付のスペシャリストとしての道を歩みます。若いうちは上司の指示を遂行する作業要員ですが、年齢をふるにつれ役職と給与が上がり、次第に責任ある仕事を任せられるようになります。大切なことは与えられた仕事を全うすることであり、それができれば、出世というレールを走る列車に乗り、会社が決めた駅を通り、定年後も退職金という形で生活を保証してくれるのです。戦前、兵隊は(サイズの合わない軍服を支給されても)軍服に体を合わせろ、と言われたそうですが同じことです。

近年、特に就職氷河期以降、採用人数が少ない分、企業はより優秀な人材を求め、その篩分けの指標として、自分は何がしたいのかを明確にすることを学生に求めました。採用試験の段階では、企業側は進歩的な姿勢で学生の個性やキャリアプランを問います。一方で、受け入れる側の企業組織は旧態然としたままであり、組織の都合で配属先を決め、仕事の割り振りも年功序列のままなのが実情です。しかし、厳しい就職活動を勝ち抜いた若者は、こんな仕事をてがけたい、こんな役割で活動したい、と具体的に働くイメージを獲得した新卒社員であり、意志明確で自己主張も強烈です。それに応えられない企業では、現状の役割や待遇に不満を感じ、企業にしがみつくシニアな社員の姿に将来の自分自身を投影し、有能な若者ほど早々に辞めてゆきます。

「必ずしも年功序列、終身雇用がよくないとは思いません。自分には合わないだけです」、という竹田さんに、彼のしたいことに合致し、実力主義で処遇が期待できる外資系メーカーへの転職という選択肢があることを伝えました。その日の深夜、午前零時四九分に竹田さんのオフィスからメールが届きました。その発信時刻をみて、彼が得ている破格の報酬が偶然の賜物ではなく、努力の結果であると確信しました。そのメールには、「チャンスは自分で掴むものと心得ています。前向きに考えさせていただきます」とありました。

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