Career Leaves ブログ

キャリアプランを真剣に考えたいあなた、失敗しない転職活動をしたいあなたと向き合い、共に考えます。

キャリア発達プロセスの変容

前回、サイトアクセスから分析した社会人の皆さんのキャリア課題について説明しました。こうした作業を通じて、改めて感じたことが2点あります。

ライフロール

第一に、アクセスキーワードに現れた表面的な関心事は、職業上のキャリア課題が中心ですが、背後には配偶者だったり、親だったり、さらに子供としてのライフロール(人生役割)を含めたキャリア課題であることが窺われることです。

「ライフキャリアレインボー」ということばを聞いたことはありますか。スーパーというキャリア理論の研究者が1950年代に発表した概念です。「キャリアは生涯に渡り発達し変化する。人は生涯において9つのライフロール(人生役割)を演じる。それは子供・学生・労働者・配偶者・親・家庭人・市民・余暇人・年金生活者で、この役割を演じる舞台は、家庭・地域・学校・職場。キャリア発達は、人生におけるライフロールと相互関係があり、同時に複数のライフロールを演じている。」というものです。

スーパーは、9つのライフロールを虹にたとえて、ライフサイクルを図式化し、複数のライフロールを演じる時期にさまざまな人生上の葛藤が生じるとしています。職業としてのキャリア課題に当たる上で、私生活面を含めた状況分析と判断がいかに大切か、改めて感じました。

キャリアの発達プロセス

第二に感じたのは、キャリアの発達プロセスが少し前と大きく変容しつつある、ということです。たとえば前述のスーパーは、1974年に職業的発達段階を、成長・探索・確立・維持・衰退の5段階で表しました。

①成長段階(10代半ばまで):自分は何ができるか、何を好むか、他人とどんな点で異なるかを理解し、自己像を構築する。

②探索段階(20代後半まで):学校から職場に移行し、暫定的に職業に就いて試行し、それが生涯に渡る自分の仕事かどうか考える。もし他の分野を考える場合、その分野が何か、その職業に対する方向付けを行う。

③確立段階(40代半ばまで):必要な訓練を経て、一定の職業に自分を方向付け、確立した位置づけを得る。その後さらに経験を積み、部下を得、能力を高めることでその地位を確かにし、昇進する。

④維持段階(退職まで):新奇な発想が豊富なのに比べ、この時期は地位の保持に力が注がれる。

⑤衰退段階(65歳以降):退職にあたり、その後の活動や楽しみを見い出すことを考え、実行する。

ほんの20〜30年前まででしたら、なるほど、と頷ける考えかたです。たしかに、①、②は大学生のキャリアアドバイザー経験から考えると、今も変わりがないような気がします。若者が就職してから3年で、3割転職する現状からも頷けます。終身雇用が崩れ、中途採用が当たり前になった分、この段階のキャリアチェンジはしやすくなりました。

しかし③以降のプロセス、つまり20代後半からのキャリア形成はそうではありません。倒産やリストラで同一社内において約束されていると思いこんでいたキャリア発達の梯子が外され、否応なく転職市場に放り出されることが起こり得ます。自分が長年携わってきた事業が縮小したり、技術革新でこれまで培ったスキルが過去のものとなり、キャリアの再構築を余儀なくされることも、少なからずあるでしょう。さらに、自分が考えるキャリア発達を全うするために、数年おきに転職(正確には「転社」)というハードルに挑んだりしなければなりません。つまり、自社のビジネスが変容しても、さらに社外に出ても通用する経験・スキルを見据えたキャリア形成が求められているのです。

変化が激しく、社員の平均年齢が20代のITベンチャー企業などに身を置く方にとっては、こうしたキャリア発達の段階はまったく実感のないものに映るでしょう。技術革新とそれに伴う新たなビジネスを模索し、②探索〜③確立プロセスを短いサイクルで繰り返す毎日でしょう。若くしてマネージャーや役員になった方にとっては、過去において50代またはそれ以上でやっと到達した役割を演じているわけですから、こうした発達プロセス自体がナンセンスです。この点、スーパーの理論は、発達プロセスは「その個人の暦年齢ではなく、社会的年齢によって規定される」と修正されています。

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「(8) キャリアの軸を意識していますか」のコラムで、シャインの《キャリア・アンカー》という概念を紹介しました。私たちが仕事に求める価値は、もはや出世や報酬だけではありません。それぞれのライフステージで求められるライフロールに応じて、自分自身にとっての仕事の意味、遣り甲斐を再確認し、自分の仕事力の方向性を修正・展開していかなければならないのです。その意味で、私のようなキャリアコンサルタントという第三者の存在意義も高まっているとも感じました。