Career Leaves ブログ

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同時代の眼と後代の眼

メルマガセミナー「キャリア形成を考える」で、キャリア形成は「筏(いかだ)下りから山登りへ」という大久保幸夫氏の話(『キャリアデザイン入門I 基礎力編』 日経文庫)を紹介しました。その要旨は、「新入社員からしばらくのキャリア形成は、言わば《筏下り》のようなもので、自分がどこに向かっているのかわからない状況の中、眼前の急流を夢中で進む。その過程で多くの経験を積み、さまざまな人に出合い刺激を受け、短期的目標を何度もクリアし、力をつけていく。自分にできること・やりたいこと・価値を感じることの3つの問いの答えを出す材料集めの段階とも言える。30代半ばくらいになると、キャリア形成は筏下りから《山登り》に転換する。それまでの職業体験を基に、自分が生涯を賭けて取り組める専門領域を選び、登っていく。自分の職業能力・働く動機・人生の価値を統合する作業とも言える。」ということです。

この話を30歳の男性・Rさんにしたところ、「冗談じゃない。世間的にはそうかもしれませんが、僕は違います。上司に命じられたことをただしているわけではありません。取り組む仕事に関して自分なりの理想があり、自分で考え、判断して動いています」、との答えが返ってきました。彼は26歳からある部門の立ち上げに創設メンバーとして参画し、組織作り、仕事のプロセス作りにゼロから携わってきたのです。前例がなく誰も導いてくれる人がいない中、手探りで仕事を進めながら、このやりかたがベストなのか、もっと自分にできることがあるのではないか、自らにプレッシャーをかけつつ、朝は7時台に出勤し、夜は10時過ぎまで、働き詰めの毎日です。今では部下十数名のリーダーとして采配を振るっていますが、ただ指示するだけではありません。一人ひとりに声掛けし、仕事があふれてしまった部下がいれば率先して手伝っています。

若いながら責任ある役割をこなしているRさんは、たしかに職業人として輝いています。彼は自らの意志で信じる道を突き進んでいます、と彼自身も思っています。彼が「(筏下りなど)冗談じゃない」と感じるのは無理もありません。でも私には、筏下り真っただ中の彼の姿がくっきり見えるのです。ただし、流れを変えよう竿差し波の強さに翻弄されているのではなくて、その激流の流れをさらに加速するように前へ、前えとオールを漕いでいる彼の姿です。普通の人が10年かけてゆっくり経験することを、この5年足らずで経験する勢いです。

冗談じゃない、と感じてよいのだ、と思いました。筏下りは流れにただ身を任せ、偶然に行き着くところに行き着くことではありません。その先にどんな急流や岩場が表われるか、分からないから筏下りなのです。その時、その時、自分はどうあるべきかを真摯に考え、行動する。その偶然の積み重ねが経験やスキルになり、職業人としての人格形成になるのです。翻って、自分の30歳前後のことを想像してみました。その当時、筏下りの話を聞いたらやはり私も、冗談じゃない、と感じるはずです。自分のキャリアの行く先を考えつつ、戦術的に動いていると。

メルマガセミナー「キャリア形成を考える」では、私自身のことを次のように定義しました。新卒でたまたま入社したNTTで偶然与えられた料金回収やマニュアル制作の仕事、それを基に自ら選んだ留学を経て、主にマニュアル制作を題材にコミュニケーションに係わる「職業能力」を培いました。ここまでが筏下りの段階です。その過程で人材育成、またはよりダイレクトに人と係わることで何ごとか貢献したいという「働く動機」、ささやかでも確かに貢献の手触りを感じられることを喜びとしたいという「人生の価値」を見い出し、仕事として統合すべく、人材コンサルタントに身を転じ、今山を登っています。

この定義はあくまでも、今だから言えることなのです。歴史認識において、「同時代の眼」と「後代の眼」というものがあります。リアルタイムで認識する「現状」と、数十年、数百年を経たのちに、それまでの歴史経過を踏まえて解釈する当時の「現状」では見えるものの質が違うということです。そこまで大げさなものではありませんが、30歳の自分の捉え方は、30歳のリアルタイムでする理解と、40歳、50歳で改めて振り返ったときとでは異なります。30歳のときに現状とどのように向き合い、どのくらい深く突き詰めたか、その度合いに応じてその人なりの仕事力が蓄積され、その人らしい何かが心の底にゆっくり沈殿し、10年後、20年後に結晶化して立ち現われるのではないでしょうか。それが、自分自身にとってより本質的な働く動機の結晶だったり、キャリア形成の方向性を自覚するものだったりまします。

振り返って考えて、あの時のあの体験が経験化され、今、ここに繋がっている、ここに活きている、あの時はまさに筏下りだった、とその偶然の体験を受け止められるのではないでしょうか。いずれRさんにも、それまでの自分認識とは質の違う何かが立ち現われる日が来ることでしょう。その時、Rさんがどんな山登りを始めるか、楽しみに待つことにします。

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