Career Leaves ブログ

キャリアプランを真剣に考えたいあなた、失敗しない転職活動をしたいあなたと向き合い、共に考えます。

分析事例3: 自己実現を目指して

職業人人生の集大成となる40代後半から50代、人材育成に係わる仕事に取り組みたいという思いから、私が現在のキャリアコンサルタントにキャリアチェンジしたことは先に述べました。その自分を支える原動力は、ささやかでも世の中に貢献したい、人のために役立ちたいという思いです。このことを自分史的に辿り、考えたことは以下の通りです。

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小学生時代、私が戦争に関する読み物に引かれた理由の一つは、国のため、他人のために身を犠牲にすることがカッコいいと感じる《美意識》でした。なぜそうなのか、と自問したのですが答えは見い出せませんでした。自分にそのような資質があるとしか、今の私には言えません。その美意識は、誰かに貢献することに伴うもので、たまたま小学生時代は、祖国のためわが身を犠牲にする精神に、美を見ていたような気がします。では、その後、積極的に社会貢献を意識したり、何らかの具体的行動をとったかというと、そんなことはなく、自分のことしか考えていない、社会的視野の狭い、ある意味普通の中学、高校時代を過ごしました。

人のために何かをする、ということを次に考える機会は、大学でゼミの先生に出会ってからです。一人ひとりの学生と正面から向き合ってくださった先生でした。「あんたねえ、いかにも僕は勉強ができますって顔してるけど、大したことないよ。俺はちゃんと分かってるからな。」先生がくださった、忘れられないことばの一つです。その日私は、ゼミで先生から徹底的に論破されていました。自分の不甲斐なさに腹を立て、不機嫌になっていたときに、不意にそう言われ、もう優等生のふりをしなくていいんだ、と救われた気持ちになり、涙が溢れました。ある意味、人生の転機になったひと言でした。自分が愚かだと気づくことは、何かを学ぶ、または人として向上する原点と考えています。もしかしたら、教師の究極の役割は、学問を教えることではなく、学生に自分は愚かだと気づかせることかもしれません。人と向き合うとはこういうことなのか、と知りました。ただ、学生の頃は大学教授というよりも教師としての先生に感謝するのみで、その厚意にどう報いればよいのかは、わかっていませんでした。

大学を卒業後の数年、NTTに勤務しつつ、沖縄の新聞記者になる準備を進めました。その過程で、何度か沖縄を取材し、米軍用地の強制収用問題(地主が反対しても国が強制的に土地を接収している問題)に関する拙いルポルタージュをまとめたことがあります。当時の自分なりに、精一杯に書きあげたと自負できる文章でした。大学時代のゼミの先生に指導を請うと、「自分のために書くな、沖縄県民のために書け。それが巡り巡って自分のためになる。ただし、自分のためになることを期待するな。」と、これまでにない大変な叱責を受けました。「あなた、そのくらいでおよしになって」と、先生の奥様が見かねて止めに入るほどでした。「彼は何かを掴みつつある。だからこそ、本気で叱った、と先生がおっしゃっていた」、と後日、人づてに聞きました。以来、《人のため》とはどうすることか、私のキーワードになりました。そしてその答えは未だ見つかっていません。翻って、今、こうして書いているこの原稿が読者の皆さんの視点で書けているかと考えると、恥ずかしくてこれ以上書けなくなりそうです。

NTT退職後、私はマニュアル制作技術を極めるべく、米国の大学院に留学しました。その留学で私が得た最大のものは、些細なことへの喜びや感謝の気持ちの回復だと思っています。雨上がりの朝、湿って柔らかになった落ち葉を踏みしめる心地よさ、木々や土の香りの清々しさに喜びを感じ、喜びと感じられる自分が幸せに思えました。東京にいた頃は、季節の移ろいにも無頓着で、若葉の眩しさに感じ入ることを忘れていました。渡米したばかりの頃は、右も左もわからず、何をするにもクラスメートの助けが必要でした。私の書く英文レポートは英語として大学院レベルではありませんので、提出前クラスメートに添削をお願いしていましたが、当初レターサイズ1〜2枚でも1時間を要しました。その1時間を私のために割くことが、相手にとってどんなに負担かも分かっていましたが、クラスメートは快く引き受けてくれました。助けられるばかりで自分はなにも貢献できない、という歯がゆさが常にありました。あるとき、デザインの実習でうまく構想がまとまらないクラスメートにアドバイスしたことがあります。英語はだめですが、デザインは得意でした。「きみのお陰でA評価を取れた、ありがとう」と言われたときは、涙が溢れました。人から感謝されることがこんなにも幸せなことなのかと分かりました。

どうやら私は、人に何か貢献することに喜びを感じ、それを大切と思う資質が強いようです。会社勤めしていたとき、転勤や退職に際しては、まるでその職場での卒業論文でも書くかのように、引き継ぎに情熱を注ぎました。文章を書くのが好きなことも手伝って、作業手順やそれにまつわるノウハウを文書にまとめ、後任に託すことを必ず実行したのです。その動機は、職業人としてのプロ意識や責任感でしたが、根底には、後任が困らないようにしたいという思いが強くあったように思います。余談ですが、そうした引き継ぎは、私に意図しない副産物ももたらしました。引き継ぎ資料を作るとは、自分がしてきた仕事を振り返って、自分が何をどんな意図で進め、結果はどうだったかをまとめる作業でもあります。つまり、自分の《棚卸》または自己分析の作業です。その作業を通じて、自分が会社組織に貢献したこと、スキルとして身につけたこと、そしてできなかったこととその原因を意識に刻みつつ、自分なりの達成感または、自分のいたらなさの自覚を含め納得感をもって次の仕事に臨めたからです。

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大学を出てから二十数年。最近気づいたことですが、あのとき先生が私たち学生にしてくださったことを、今度は私もしたくて今の仕事に就いたのだと思います。偶然のめぐり合わせで畑違いのキャリアコンサルタントに転じたのですが、無意図の意図(明確に意識してはいないけれど、意識の奥にそうとは知らずに存在している意図)がそうさせたのだと。