Career Leaves ブログ

キャリアプランを真剣に考えたいあなた、失敗しない転職活動をしたいあなたと向き合い、共に考えます。

転職エージェントとの付き合いかた

キャンディデイト(クライアント企業に紹介する採用候補者)の適性やキャリアプランを踏まえ、その方に適するポジションを紹介する。かつ、ご本人の一〇〇%の能力や魅力を職務経歴書に表現し、面接でも適切にプレゼンできるようアドバイスするのが人材コンサルタントの存在意義です。さらに厳選した一社を紹介し、その一社で決める、というのがコンサルタントとして腕の見せどころとも、筆者は考えています。しかし、そうではないエージェント(人材紹介会社、およびそのコンサルタント)も多く存在しているのが現状です。

畠山慎也さん(38歳)は中央大学を卒業後、外資を含め大手企業三社で経理の仕事をしてきました。前職企業で早期退職プログラムが発表された際、キャリアを見直すにはよい機会と早期退職を決めました。「四〇歳までに管理職になれないと、事実上昇進はストップします。しかし、上がつかえていて自分がマネージャーになれるとは思えないのです。それに大企業では経理部門も細分化されています。今のうちに幅を広げておかないと、放り出されたときに市場価値がなくなると、焦りも感じていた矢先の早期退職プログラムでした」と言います。

私と会う前の一ヶ月間、大手人材紹介会社三社に登録し、エージェントに勧められるまま延べ一八社に応募し、一五社は書類選考で不採用になりました。名の通った大企業を複数経験してきた、つまりそれだけの能力があると認められた方ですが、自信を失っておられました。このようなケースでは、なぜ書類段階であっさり落ちるのか、その原因を明確にするところから始めなければなりません。これまで応募した企業とそれぞれの不採用理由を分析することを、まず彼にお願いしました。

お会いした一週間後、応募した企業とポジションの概要、応募日、不採用の理由として伝えられたことなどを詳細に記載したエクセルシートが畠山さんから送られてきました。見ると、求人ポジションの大半は、担当者クラスの若い方を求めていることが容易に想像できるものだったり、畠山さんの経験とは合いそうにない業務内容のものでした。つまり企業の募集要領を読んだ段階でミスマッチと判断でき、応募したこと自体が不適切な案件ばかりでした。さらに、いくつかの不採用理由のコメントからは、彼が今後の転職活動で配慮しなければならないポイントも見えました。

「こうして整理してみると、自分がこの一ヶ月間一体何をしていたのか、なぜうまくいかないのかが理解できました。」畠山さんは後悔しつつも、晴れ晴れとした表情になっていました。課題が分かれば、そこを修正すればよいのです。退職することはもう決めたことなのですから、前を向いて次の一歩を踏み出すのみです。

三ヶ月後、再就職先が決まったと畠山さんより連絡がありました。厳しい面接を乗り越えられたのは、「それまでの転職活動を反省し、自分自身を見つめ直す機会を得たお陰です」、と嬉しいことばをいただきました。

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40代、50代の転職活動のしかた

最近、40代、50代の方々から転職活動の相談を何件か受けました。自分でキャリアを振る最後のチャンスと思い切られた方、早期退職制度に乗られた方などです。30代の頃やリーマンショック以前に転職体験があり、それなりに転職のしかたを心得ているとご本人は思っていただけに、様変わりした転職市場と想像以上の厳しさに皆さん驚いておられました。

驚きの第一は、人材紹介エージェントに登録しても、エージェントが会ってくれないことです。「現在、ご希望に副う案件がありません。適する案件が出てまいりましたらご連絡します」、と返されて、その後はなしのつぶてになるケースが多いそうです。第二に、やっとエージェントと面談できても、キーワード・マッチングで出してきた求人案件を紹介するのみで、転職活動のしかたや職務経歴書の書きかたなど、アドバイスしてもらえないことです。エージェントの担当者は20代から30代前半で、この人は自分がしてきた仕事を理解しているのだろうか、と不安になることが多いそうです。

多少回復したとはいえ、求人は35歳くらいまでの現場クラスの募集が大半で、マネージャークラスの案件が少ない現状がまずあります。加えて、人材紹介エージェントは過当競争で、企業側も多くのエージェントと契約していることもあり、紹介はスピード勝負です。今追いかけている若手案件に合いそうにない求職者に会う時間はない、というのが人材紹介エージェント側の本音でしょう。

インターネット経由の求人システムの発達に伴い、面談で求職者の特徴を把握し適する案件を紹介するキャリアコンサルティングベースのやりかたから、データベースを駆使したキーワード・マッチングによる紹介が主流になりました。キャリアコンサルティング能力や業界知見よりも、ネット検索に長けフットワークが軽い若手エージェントのほうが、単価も安いですので人材紹介エージェント側は作業効率がよいことになります。

さらに第三の驚きは、応募しても書類が通らないことです。かつて経験した転職のときよりも、すっとハードルが高くなっている、と皆さん感じておられました。筆者の感覚で言うと、リーマンショック以前は、企業側が求める要件が5つあるとすると、3つくらいの要件が合っていれば書類は通り、面接でいかに溝を埋めるかが勝負どころでした。しかし今は、5つの要件をすべて満たしていることが職務経歴書上見えないと、なかなか面接に進めないのです。採用要件を高くしても選べるくらい、求職者が巷に溢れている買い手市場が続いているのです。また、決められた期日までに必ず採用する姿勢から、人は欲しいがピッタリの人材が見つかるまでは採用しない方針に企業側が変っているように見えます。

では、こうした厳しい現状で、40代、50代はどのように転職活動を進めればよいのでしょう。結局は、基本に忠実に、ということになると筆者は考えています。当たり前のことですが、中途採用は「経験者採用」であり、即戦力性が求められます。

職務経歴書を書き直す

職務経歴書こそが、あなたのプレゼンツールです。書類審査が通らないことには話になりませんので、まず通す工夫をすること。つまり、職務経歴書に自分がしてきた業務と成果、その成果を挙げた根拠、その経験から得たスキル、それらを活かして今後どう貢献するかを具体的にまとめることです。そんな話は面接ですればよい、と思われるかもしれません。しかし、書類審査のハードルが高い現状では、書類にそれらを表さないと先に進めないのです。

人材紹介エージェントとうまく付き合う

仮にエージェントの担当者が頼りないとしても、それを嘆いても始まりません。自分が得意なことや適するポジションを教え諭すくらいのゆとりをもって、でも謙虚な姿勢でエージェントとの面談に臨んでください。上記の職務経歴書はあなたをエージェントに説明するツールにもなります。そして、あなたのことを理解し、人として信頼してもらえれば、それ相応に動いてくれるのではないでしょうか。

また、志ある人材紹介エージェントは、今でもいらっしゃいます。必ずそうとは言い切れませんが、規模が10名以内と小さめで、エージェントも40代以上が多いところを探してみてください。キャリアコンサルティングベースで対応してくれることが多いです。そうしたプロフェッショナルなエージェントの方が、シニアクラスの求人案件も多いでしょう。と言うのも、マネージメント層の求人は、企業側としては大っぴらに募集したくありません。大手エージェントに依頼するよりも、付き合いが長く信頼できる一部の小規模エージェントのみに依頼するケースがよくあるからです。

求人案件を吟味する

募集要項を読めば、明らかに30代前半までの担当者クラスを想定している案件と、マネージャークラスの案件との区別はつきます。いかに能力のある方でも、若手を想定した案件に応募しては書類が通りません。転職活動中、応募する案件がない状態は不安です。が、その焦りに負けず、安易にエージェントの勧めに乗らず、自分に適する案件を吟味し、見つかったら企業側が求めることを徹底的にリサーチして、職務経歴書もそれに合わせてカスタマイズして応募することです。応募機会が若手ほど多くない分、集中して1つずつ大切に準備してください。

マインドを健康に保つ

そして、なによりも大切なことは心の健康です。転職活動中はさまざまな不安がよぎり、焦燥感にかられ、落ち込みます。しかし、マインドが落ちた状態で面接に臨んでも、力は発揮できません。このシリーズの「4:長期化する転職活動を乗り切る」で詳述していますので、ご参照ください。

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昭和と平成の相克2:チャンスは自分で掴む

タイトな背広がよく似合う若者が、新宿駅改札の人ごみの中からスーと私の前に表われました。遅くなってすみません、と深々とお辞儀する動作がきびきびしています。細身の筋肉質で、一目見てスポーツをしてきた人であることが分かる体型です。「中学から大学までバスケットボールで鍛えました。もっとも今は、接待ゴルフばかりですが」、と日焼けした顔に白い歯が覗きます。

竹田雄二さん(三〇歳)は明治大学を卒業後、日系中堅メーカーに営業職として勤務しています。持ち前のフットワークを活かして、顧客企業に足しげく通う営業スタイルで成績を伸ばしてきました。会社からもその仕事振りが評価され、同年代の営業マンに比べ約一〇〇万円多く年収も得ています。破格の待遇であり、次世代の幹部候補最右翼といったところです。「現職に特に不満はないですし、営業の仕事をずっと続けていきたいと考えています。」

ではどうして私に会おうと思われたのですか、と訊ねると、「年功序列を前提とした現職企業では、将来にビジョンを描けない、確かに年収面では現状に満足しているが昇給が早かった分ここから先はあまり期待できない」と言います。では報酬が第一優先なのかというとそうではなく、「定時で帰って自分の倍の年収を得ている五〇代の先輩社員を見るにつけ、納得できない。自分も二〇年後には彼らと同じような抜け殻になり、彼らを見て今の自分が感じるように若い社員から見られるのかと思うと、このままでいいのか、と考えてしまう」のだそうです。さらに、人事異動の慣例では、今は東京に勤務していますが次は地方に転勤することになります。「地方勤務が嫌というわけではありません。ただ、今よりエキサイティングな仕事ができるか、期待は薄く、自分のやりかたには合っていない」と感じています。

年功序列というシステムは、終身雇用を前提に、仕事内容や貢献度とはあまり係わりなく若いうちは低賃金に抑え、年を経るにつれ地位も年収も上がっていくものです。上述の五〇代社員にしてみれば不当な厚遇では決してなく、若いときに貰わずに会社に預けていた分をある意味利子をつけて、今返しえもらっているようなものです。そうした循環が保証されていた時代の、つまり《昭和の若者》は、今は下積みと我慢ができました。都市部と地方を交互にという人事異動の慣例も、公平に機会を与えるルールとして必ずしも悪くはないのですが、竹田さんのような日々挑戦し、前に進みたい意欲に溢れる社員にはもどかしいシステムに映ります。

竹田さんは就職氷河期と言われ、終身雇用の崩壊がクロースアップされた時期に大学を出て、厳しい就職戦線に臨んだ世代あり、昭和的仕事観あるいは会社観を鵜呑みにはできない《平成の若者》です。彼が求めるものは仕事の遣り甲斐であり、成果に相応しい評価と待遇です。さらに、いつまで続くか心もとない終身雇用に頼る気はなく、信じてもおらず、今貢献した分は今欲しいということです。

かつて企業が新卒の若者に求めた資質は、与えられた仕事をつべこべ言わずこなすゼネラリストのそれでした。上の命令には従順に従い、頭よりもまず体が動く兵隊、いわゆる体育会系の人材が好まれました。希望配属先を聞くのは形だけで、組織の都合で新卒は振り分けられました。たとえば商社の場合、たまたま配属が食品部門であれば彼・彼女は、多くの場合定年まで食品や食品原材料買付のスペシャリストとしての道を歩みます。若いうちは上司の指示を遂行する作業要員ですが、年齢をふるにつれ役職と給与が上がり、次第に責任ある仕事を任せられるようになります。大切なことは与えられた仕事を全うすることであり、それができれば、出世というレールを走る列車に乗り、会社が決めた駅を通り、定年後も退職金という形で生活を保証してくれるのです。戦前、兵隊は(サイズの合わない軍服を支給されても)軍服に体を合わせろ、と言われたそうですが同じことです。

近年、特に就職氷河期以降、採用人数が少ない分、企業はより優秀な人材を求め、その篩分けの指標として、自分は何がしたいのかを明確にすることを学生に求めました。採用試験の段階では、企業側は進歩的な姿勢で学生の個性やキャリアプランを問います。一方で、受け入れる側の企業組織は旧態然としたままであり、組織の都合で配属先を決め、仕事の割り振りも年功序列のままなのが実情です。しかし、厳しい就職活動を勝ち抜いた若者は、こんな仕事をてがけたい、こんな役割で活動したい、と具体的に働くイメージを獲得した新卒社員であり、意志明確で自己主張も強烈です。それに応えられない企業では、現状の役割や待遇に不満を感じ、企業にしがみつくシニアな社員の姿に将来の自分自身を投影し、有能な若者ほど早々に辞めてゆきます。

「必ずしも年功序列、終身雇用がよくないとは思いません。自分には合わないだけです」、という竹田さんに、彼のしたいことに合致し、実力主義で処遇が期待できる外資系メーカーへの転職という選択肢があることを伝えました。その日の深夜、午前零時四九分に竹田さんのオフィスからメールが届きました。その発信時刻をみて、彼が得ている破格の報酬が偶然の賜物ではなく、努力の結果であると確信しました。そのメールには、「チャンスは自分で掴むものと心得ています。前向きに考えさせていただきます」とありました。

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昭和と平成の相克1:会社に迷惑はかけられない

この懐かしさと違和感は何なのだろう、と私が戸惑いを感じ始めたのはお会いして15分ほど経ったころからでした。「会社には迷惑をかけられませんので。」お会いした1時間半のなかで、幾度となく繰り返されたそのことば。

日野亜紀さん(26歳)は地元九州の国立大学を卒業後、日系製薬会社で女性MR として活躍しています。普段は福岡に勤務していますが、担当領域の医学学会参加のため上京した際に、仕事の合間をぬってお会いしました。笑顔を絶やさず、人当たりも柔らかな方で、気難しいドクターを相手にするMRに向いている人柄と第一印象で感じました。3ヶ月後に結婚を控える彼女は、会社には早々に辞意を伝えて本来業務の傍ら、仕事に支障がないように病院関係者や社内で引き継ぎに忙しく走り回っています。挨拶もそこそこに、そう自己紹介した結びに、微笑みと共に「会社には迷惑をかけられませんので」と、きっぱりとした口調でおっしゃいました。会社に迷惑はかけられない。それは昭和の若者だった私には、どこかホッとする懐かしい響きを感じることばでした。

「やらされるのは嫌い、自分で考え行動したい」と、独自に営業戦術を練り、実行し、着実に前年度以上の営業成績を挙げてきました。MRの仕事で成功する第一歩は、ドクターにまめに会い信頼を得ることです。短時間でドクターのニーズを掴み、必要とする医薬情報を的確に伝える機転といいますかコミュニケーション能力が求められます。昼間は患者との対応で忙しいドクターですので、夜のアポイントや接待も多くなります。知らない人にとっては、顧客に媚びへつらう泥臭い営業のイメージがあり、いわゆるOLとは対極の仕事です。よくそんなキツイ仕事ができるわね、と学生時代の同窓生に言われることもあるそうです。加えてMRに転勤は付き物で、約5年ごとに全国規模で異動があります。企業側に理解がない限り、女性にとって結婚や子育てとMRの仕事の両立は難しく、結婚や出産を期に退職したり、内勤の仕事に異動する方が多いのが実情です。

入社して4年になる日野さんは、次の人事異動で動く公算が強く、彼女の実績からすると次は東京など大都市の大学病院担当、つまりMRとしてエリートコースの職場が期待できます。なのに寿退社というのはもったいないなあ、とお話を伺いながら思いました。そんな私の思いを感じ取ったのか、「MRの仕事が好きです。フィアンセも続けられたらいいのに、と言ってくれていますが、…でも、会社には迷惑をかけられませんので」と、今度は自分に言い聞かせるように繰り返しました。日野さんの結婚相手は九州に本社のある会社に勤めています。せめて九州地区の範囲での異動であればやり繰りできる可能性もありますが、全国規模で転勤することが前提の製薬会社では結婚しても別居生活が長くなり、現実的ではありません。単身赴任にならない人事異動の配慮、産休復帰後のサポートがある企業であれば、彼女が辞める理由はないのですが、現職企業では現実的に難しいそうです。そして昭和的仕事観・会社観からすると、多くの昭和の女性が当然のごとく選択した、結婚退職という致し方ない選択肢を彼女も選ぼうとしていました。できるだけ所属企業に迷惑をかけないように身を引いていく、それを考えることで精一杯だったのでしょう。

会社に迷惑はかけられない。昭和の若者だった私には懐かしい響きであり、それでいて平成の若者が発することばとして違和感を感じていることにやっと気づきました。彼女がイメージしていた「迷惑」は会社に、というよりも実感としては、実際に仕事のしわ寄せを食う「同僚に」だったようです。それは彼女の自発的な責任感なのか、周囲から押しつけられた、または押しつけられたとも気づかずに植えつけられた価値観なのか。

女性MRを採用して苦労して育ててもやっと一人前になったころに辞めていく、職業人としての自覚に欠けるという不満の声が伝統ある日系製薬会社から漏れ伝わります。採用面接段階では、ずっと仕事を続ける意思表明した方が、なんらかの心境の変化で結婚退職することもあるでしょう。中には、仕事のハードさから、自分にはやはり向かないと事務職にキャリアチェンジする方もいらっしゃるでしょう。それらは彼女たち個人のせいでは必ずしもないような気がします。たしかに、内資製薬企業でも女性が継続して働ける制度作りがここ数年進んでいます。しかし、女性社員に配慮した制度を作っても、元々男社会である現場に理解がない、または理解していても現場の忙しさからサポートしきれない、そんな現状を身に沁みて感じているからこそ、同僚に迷惑はかけられない、と結婚、出産を控えた女性MRは辞めざるを得ない側面が多分にあるのではないでしょうか。

女性社員に配慮した制度はあるが、現実には機能していないという話は実際によく耳にします。たとえば、産休から職場復帰する際、1歳前後の赤ちゃんを抱えているわけですから、初めは時短勤務が必要です。もちろん時短勤務制度に則って早めに退社しますが、周囲は忙しく働いており、場合によっては自分がしなければならない仕事を同僚に託して帰らなければならないこともあるでしょう。同僚に対して申し訳ない思いが募り、同僚から無言で非難されているような錯覚に陥ることもあるでしょう。ついには、同僚に迷惑をかけたくない、やはり復帰は無理、と退職を考える方が少なくありません。制度設計だけでなく、運用面で機能するように企業も職場の同僚も努力しなければ、この流れは止まりません。そしてこうした状況は、もちろん製薬会社に限った話ではまったくありません。出産・育児休職の制度があっても、実際には活用されていない企業は業界を問わずたくさんあります。

日野さんもやはり平成の若者でした。「でも本音は、MRを続けたいです」。彼女の課題は、結婚生活とMRという職業の両立です。外資製薬会社を中心に、地域限定で異動させるなど女性が働きやすい環境作りに取り組み女性MRを積極的に中途採用する企業もありますので、そうした製薬会社への転職(正確には転社ですが)を勧めました。もちろん、結婚するということは一人の人生ではなくなりますので、フィアンセと話してお互いに納得できるなら、というのが前提です。

こうした人生の岐路においては、これが正解という絶対の選択肢はありませんし、こうあるべきとか、こうしなければならない、というものもありません。仕事と家庭の両立を図り、苦しいこともあるでしょうがこれら2つの世界で遣り甲斐や喜びを勝ち取るのも人生ですし、家事や育児に専念しつつ新たな、深い幸せを掴むのも人生です。つまる所、ご自身が納得して選んだ道がその人にとっての「正解」なのです。大切なことは、じっくり考えて納得すること、決めたら振り返らずに信じる道を進むこと、そして後悔しないことです。

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あなたからチャレンジを奪ったら何が残りますか

「僕からチャレンジを奪ったら、何が残るというのかね?」

その初老の紳士は自問するように小さく呟やきました。「自分にできることはしたよ。ここから先は仕事を回すだけで面白くない。新たなチャレンジの場がほしいんだ」と。ウエーブのかかったロマンスグレーの長めの髪に銀縁眼鏡、語り口も淡々として穏やかな、一見大学教授のような風貌からは想像できないことばでした。

ことばの主は鴨下常明さん。東京工業大学を卒業後、大手IT企業で営業やマーケティングを10年経験した後、IT関連の新規ビジネスの企画に取り組み、いくつかの外資ソフトウエアメーカーの国内立ち上げを手掛け、各社を2〜3年で軌道に乗せてきました。お会いした当時は外資の解析ソフトウエア会社の社長として、日本法人を立ち上げ3年で黒字化を達成したところでした。まだ日本に導入されていないニッチな分野の海外ソフトウエアを見い出して日本での事業化を計画し、オフィス探しやスタッフ集めを含め会社を立ち上げる。さらに自ら営業マンとしてゼロから市場を開拓し、事業として軌道に乗せる。そのプロセスが面白いのだそうです。

実際にそうしていくつかの事業を成功させてきました。しかし、外資の中小ソフトウエア企業はシビアです。数字が挙がらなければ、社長の首は毎年のように挿げ替えられます。折角業績が順調に伸び、社長の座を確固としたものにできつつある今、敢えて辞める必然性はありません。そんな素朴な疑問から、事業が軌道に乗ったタイミングであなたが社長の座を降りる理由はないのではないでしょうか、ご年齢もご年齢ですし、この辺でそろそろ落ち着かれてはいかがですか、と私が不遜にも申し上げたときに発せられたことばでした。物静かな立ち居振る舞いの内に、秘めた鉄の意志を感じました。

私の何を気に入られたのか、終ぞ訊ねる機会はありませんでしたが、その後も転職希望者を紹介してくださったり、「僕が辞めるとき、後釜の社長探しは君にお願いするよ」とおっしゃってくださったり、随分目をかけてくださいました。外資系企業を渡り歩いてきた方ですので、外資人材サーチ会社のベテランヘッドハンターとも、お付き合いが豊富だったはずです。当時駆け出しの人材コンサルタントだった私の素人っぽい生真面目さが、逆に鴨下さんには新鮮だったのかもしれません。

そんな鴨下さんと連絡がつかなくなって1年余りが過ぎました。携帯電話もメールも通じなくなっていましたので、これは海外に新たな機会を見つけて赴任されたに違いない。数年後、土産話を聞かせていただける日を楽しみに待とう、と軽く思っていました。そんなある日、彼の元部下の方から、鴨下さんが1年前に急に倒れ、亡くなられたことを知らされました。メールの履歴を調べると、倒れる直前まで私は彼とやり取りしていたようでした。元同僚の方々には知らされず、近親者のみの密葬だったそうです。その元部下の方も最近になって亡くなられたことを知り、お焼香に伺うお願いをしましたが、ご遺族から固辞されました。ご家族の方々にとっても、あまりに突然で今も受け入れがたいことなのだと推察しています。

チャレンジの人、鴨下常明さん。享年55歳。職場で倒れ、そのまま逝かれたと聞きます。今でも、「やっと帰国したよ。次のチャレンジの場はない?」と不意に鴨下さんからメールが届くような気がしてなりません。あなたにとって、まだまだ道半ばだったかもしれません。が、生き様としては本懐でしたね。お焼香はいたしません。代わりに、あなたにいただいたことばを受け止める作業を続けます、ずっと。

あなたからチャレンジを奪ったら何が残りますか?

さまざまなキャリア相談者の方々のお話をうかがいながら、発話にならない問いが今でもフッと脳裏を過ります。それは相談者の皆さんに投げかける問いであり、そのまま私自身に突き刺さる問いでもあります。

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