Career Leaves ブログ

キャリアプランを真剣に考えたいあなた、失敗しない転職活動をしたいあなたと向き合い、共に考えます。

大学で教えるということ5:私が教えられることは何もない

20年くらい前でしょうか。地球やそこに住む人間の可能性、限界に挑戦する人々を描いた「ガイア・シンフォニー」というドキュメンタリー映画を観ました。その中で、トマトの水耕栽培に挑む日本人農学者の姿が強く印象に残っています。たった一粒のトマトの種を水耕栽培により、数百の実が生る「大木」に育てました。茎の直径は10cmくらいあり、まるで木の幹でした。植物には無限の能力があって、発芽の時から周囲の環境を感じ取り、どのくらい根を張れるか、栄養を取れるか、葉を茂らせられるか、つまりどのくらい大きくなるのが置かれた環境の中で適切かをトマト自身が計算しながら成長し、環境の制約が多ければ成長を自制し、制約が少なければどんどん伸びると言います。彼は、植物にとって最適の環境を用意することで、一粒のトマトの種を大木にして見せたのです。

先のコラム「大学で教えるということ4:学生を覚醒させる」で、4月から、リアルな企業課題をテーマにグループで解決策を提案させる産学連携科目「Wake up! プロジェクト」を開講したことを紹介しました。通常は、MBAコースなど大学院レベルで行うケース・スタディ型授業です。履修生は1年生限定。教員は教えすぎない、企業担当者は部下に接するのと同じように厳しくダメ出しする授業方針で臨みました。高校を卒業したばかりの新入生たちが、課題解決の方法論を学ばずにプロジェクトを遂行できるのか? 叱られることに慣れていない優等生たちが社会人の厳しい指摘を受け止められるのか? そもそも課題が高度過ぎる、学修効果が挙がるのか? 常識的に考えれば、もっともな心配です。

でも、彼/彼女らはやってくれました。受験でお得意の正解を求める問題ではなく、正解のない課題に取り組むプロジェクト活動に履修生たちは戸惑い、当初、企業担当者の厳しい指摘にショックを受けました。が、失敗を繰り返す過程で、自ら動くことの大切さや議論の深掘りの重要性を自己発見的に学んでいったのです。平均出席率は98%。これは60〜70%が当たり前の一般的な科目と比べ驚異の出席率です。授業外の週平均学修時間は5時間を超えました。でも、最後まで一人も脱落しませんでした。

終講時のアンケートでは、科目の総合的な満足度は、5段階評価で「5」が68.6%、「4」が28.6%に上りました。「高校生の学びから大学生の学びに変わっていくことが少しでも出来たと感じている」など、履修生は苦労が多かった分、主体的に学ぶとはどのようなことかを体感したようです。ディスカッションやグループワークに不安や苦手意識のある履修生が半分くらいいましたが、「やれば、自分にもできそう」という意識に変わっていき、やる気をもって臨めば、消極的な資質の学生も何らかの学びが得られることが確認できました。 《教えすぎない》という授業方法に関しては、履修生たちは戸惑っていましたが、「教えられ過ぎないことでたくさんの失敗ができた。失敗こそ学ぶきっかけになる。自分たちでどうすればよいかというのを真剣に考えるきっかけになった」と受け入れられました。厳しく《ダメ出し》する企業担当者の姿勢も、賛否両論に分かれると私は予測していましたが、88.6%が「今回のやりかたでよい」と答えました。「自分たちの施策はまだまだ不十分であることが分かっており、そこで褒められると、こんなものでよいのかと熱が冷めてしまう」と、ダメ出しされた悔しさと自分たちの至らなさの実感をバネに履修生たちは頑張ってやり抜いたのです。

もちろん、彼/彼女らは高校を出たばかりで、情報収集の方法も、分析のしかたも知りませんし、グループワークも未経験者が多くディスカッションにも慣れていません。そもそもビジネスの知見がありませんので、MBAレベルの大学院生たちが練り上げる提案と比べれば完成度はずっと低いです。それでも最終プレゼンでは、「よくここまで作りましたね」という企業担当者のコメントを引き出しました。やればそれなりの品質の提案ができるものです。

Wake up! プロジェクトの達成目標は、《主体的な学び》の姿勢を醸成することにあり、企業課題のケース・スタディはあくまでもそれを実現するための材料に過ぎません。では履修生たちは何を学び取ったのか。アンケートの自由記述欄に綴られたことばを紹介します。

「最初は正直に言ってあまり難しさを感じなかった。中間プレゼンで根底から否定された時に自分達の甘さに気づき、自分がどれだけできないのか、身をもって自覚できたのが大きな学びであった」

「グループワークでの行動は全て私たちの主体性に委ねられていた。主体的に動くことで、自分の知識・経験の少なさを知ることになり、また、それを補うことが楽しみとなってくる。私たちは、主体的な行動によって、自分について知ることができるようになるのだろう」

「あまり発言できない僕に対して班員のみんなが、どう思う? と何度も声をかけてくれました。そこではっとしました。自分は何のためにこの授業を取ったのか。自分を変えなきゃだめだ。それから、みんなに聞かれる前に、少しずつだけど自分から発言するように心がけました。すると、自然とプロジェクトに対する思いも変わってきました。本気で企業を良くしたいと思えるようになったのです」

「なんでも真剣に取り組めばやりがいや楽しさを見つけられることをこの授業で学び、アルバイトに対する姿勢が変わりました。以前までは、ただお金を稼ぐために仕方なくバイトする、というようなモチベーションでいましたが、今では、社会勉強もかね、お客さんと積極的に話にいったり、自分がどう動けば、周りの人が働きやすくなるかなど、いろいろ考えながら働くようになり、働き始めたばかりのころよりもやりがいを感じています」

大学1年生は、社会に出る準備を始めたか細く、ひ弱な一本の苗に過ぎません。でもそれは無限の可能性を秘めた苗と信じます。私が彼/彼女らに教えられることは何もない、と再認識しました。彼/彼女らが存分に根を張り、葉を茂らせることができるように、固定観念を打ち払い、制約を取りはぶき、陽当たりをよくすることが、キャリアコンサルタントとして、教員として、私の役割であり、ささやかながらできること、と学んだ2014年の春学期でした。

-----

働く主体性を考える2

前回は、インタビュー調査から抽出した実例から、銀行勤務の新入社員が引き起こした問題を見てきました。鈴木さんは、たまたまA社の融資担当になりました。自分の仕事を「与えられた仕事」、「やらされている仕事」という意識から表面的に仕事の意味を捉えていたのでしょう。顧客であるA社のために、銀行としての自社のために、法人営業部というチームのために、自分がどう動かなければならないかを考える《主体性》に欠けていました。たいていの仕事は担当者一人では完遂できません。さまざまな課題を解決し仕事を遂行するプロセスでは、周囲の関係者を巻き込む働きかけが必要であり、周囲に状況を理解してもらったり、動かすための《コミュニケーション能力》が必要になります。

このケースに表われた課題の多くは、本インタビュー調査の対象者固有のものではなく、銀行業務特有のものでもありません。インタビューの結果、さまざまな業界・職種において、シチュエーションは違えど同質の戸惑いや失敗例が、企業の人事担当者、卒業生双方から語られたのです。さまざまな企業組織において、程度の差こそあれ、多くの新卒社員が入社1年目に直面し、克服していかねばならない課題と言えます。

このケースおよび本インタビュー調査全般から、ジェネリック・スキルが発揮されるまでの大まかな流れは以下のようになります。

① 担当職務に対する《主体性》がジェネリック・スキルの原動力として作用する

② 主体性に基づき、個々のジェネリック・スキルが発動する

③ それらは《コミュニケーション能力》により、周囲に働きかけられる

興味深いことに、卒業生のインタビューで「主体性」という用語は自発的な発言としては皆無でした。新入社員の主体性が問題視されているが、と問いかけると、「失敗するとか怒られるかもと思ってもちょっと無理をして根回しをしに行くという動きは、若手メンバーは鈍いかなと思う時はある。それで実行力とか主体性という部分で、マイナスポイントをつけられているのではないかなと感じる」、「それよりも自分の意見とか改善提案とかして来いということなのかなと思う」、「与えられたことをこなすので1〜2年目は精一杯なので、主体性がないように見えると思う」など、表面的な行動レベルの答えが返ってきました。

この点について、ある企業人事担当者から重要な指摘がありました。その発言を要約すると、「新入社員の課題を本人とその直属の上司にヒアリングして回ったことがある。すると新入社員本人は、計画力が弱いです、課題発見力がまだまだです、など頭を使うスキルを足りないと捉える傾向があった。一方、上司の見方は違っていて、それは十分あると言う。最近は厳選採用で優秀層に絞って採用していることも手伝って、新卒社員はみな優秀。むしろ主体性、働きかけ力を伸ばしてほしいと感じている。予定調和の「正解」を早く見つける環境から、答えのないものを自分で見つける、課題自体も自分で設定してやっていくのが仕事。若いうちは自分一人ではできなくて先輩を頼ったり、チームで進めていく。その際に求められる能力として何が必要か、が理解されていない。」

《主体性》は、自分の意志・判断で行動しようとする態度を意味します。何をするか、しないかの判断も含めて、自分の意志・判断で行動し、とった行動の結果について責任を負う当事者意識です。現実問題として、課題解決の手法やフレームワークを身につけたとしても、自分の職務に関する意義や当事者意識を持って主体的に課題を見つけ、解決のために周囲と協働しなければ、本当の意味での課題解決はできません。最近注目されているグローバル対応力についても、英語力はツールに過ぎません。分かり合いたいという動機と自分が調整する主体性を持って相手の主張に耳を傾け、動かなければ、異文化間の交渉は難しいでしょう。

ジェネリック・スキルとして、課題解決の方法論や語学力を身に着けさせるだけでは足りないのです。何かに取り組む際の《主体性》という実体が掴みにくいものを、教えるというよりもいかに体感させるか。これはキャリア教育だけではどうすることもできず、大学教育現場において綜合的に取り組むべき課題と言えます。

改めて考えると、主体性もジェネリック・スキルもビジネスのみに必要な固有スキルではありません。大学生として、学問に取り組むために必要不可欠のスキルではないか。たとえば卒論です。自分で課題を見つけてテーマ設定し、自ら動いて解明のために必要な情報を収集・分析したり、調査や実験をしたりして、予定調和の正解ではなく自分の解を探し求める。学問追及の姿勢そのものではないか。言い換えると、学業の場において、学問追及の主体性とスキルを身に付けられれば、社会に出ても「場」がビジネス現場に変わるだけで、そのジェネリック・スキルはそのまま活かされるはず。そう考えるに至ったのです。

前々回のコラム「大学で教えるということ4:学生を覚醒させる」で取り上げた「Wake up! プロジェクト」という科目を1年生対象に立ち上げた理由も、ここにあります。主体的な学びの姿勢を学生たちに身に付けさせたい。良くも悪くも自由な大学生活の中で、ダレてしまう前に。

働く主体性を考える1

キャリア教育に携わる中で、《主体性》の醸成こそが大学におけるキャリア教育、または大学教育そのもの、さらには卒業後の自律的キャリア形成の礎になると考えるようになりました。この主体性ということを強く意識するようになったきっかけは、昨年、勤務する大学で実施した産業界ニーズのインタビュー調査でした。

業界や職種に係らず社会人に求められる基礎力として、情報収集力、課題解決力、コミュニケーション力などジェネリック・スキル(社会人基礎力、就業力と呼ばれる一般スキル)の重要性が各所で指摘されてきました。しかし、多くはアンケート調査ベースの限界もあり、それぞれのスキルの具体的中身は漠としています。先に「産業界ニーズ」と書きましたが、ニーズの裏には問題点、課題があります。仕事は現場で営まれており、ジェネリック・スキルも仕事現場で発揮されます。ジェネリック・スキルの構造、またはジェネリック・スキルを巡る諸課題の全体像を捉えるためには、「現場」で何が起きているかを把握することが肝要と考えました。そこで、企業の人事担当者14名に人事の眼から見た新入社員の課題を、20代の卒業生22名には入社1〜2年目に自身が直面した困難をインタビュー調査したのです。

企業側が1〜2年目の社員に求めることは、「どんな場所でも適応する柔軟性や忍耐力を備え、自ら考えて主体的に動くことができる」人であり、新卒社員の根源的な課題が、この主体性にあることが人事担当者から指摘されました。しかし、卒業生は自分の課題の本質が主体性にあることは認識できておらず、実体が掴みにくい《主体性》をいかに体感させるかが、大学教育現場において綜合的に取り組むべき課題であることがわかりました。

一連のインタビュー調査において、ある銀行の人事担当者と、別の銀行に勤務する入社2年目の卒業生が、ほぼ同一のシチュエーションで法人営業担当の新入社員が直面した課題を語りました。それぞれ管理者視点・当事者本人視点で語られ、双方の気持ちや言い分を含め主体性をめぐる現場の実態が比較できますので、ケース・スタディとして紹介します。

==ケース==

鈴木さんはこの春、大学を卒業し、ある都市銀行に就職し、都内の支店に法人営業として勤務しています。鈴木さんが担当するA社から融資の申し込みがありました。老朽化した設備を最新のものに入れ替える設備投資のため、5000万円を借り入れたいとのこと。これは教育係の先輩・山田さんのサポートを離れて、初めて一人で担当する融資案件です。

場面1:係長に相談

鈴木さんは、この融資に関して相談したいことがあります。でも、教育係の山田先輩は忙しそうです。鈴木さんは山田先輩に遠慮して、上司である係長に相談しました。

鈴木: 係長、A社から借り入れの話があって、設備投資の案件なのですが、この場合、融資の申込書をまとめるに当たって参考になりそうな過去の案件はありますか?

係長: ええ? 君は自分で探したの? 過去の融資申請書は、まとめてファイルされているでしょう。こっちは忙しいんだよ、いちいち聞くな。まず、自分で調べてよ。

場面2:昼休みに同期と食事

鈴木さんは決まって同期入社の社員3人組で昼食に行きます。昼は束の間の休み時間。上司や先輩たちに気を遣うことなく、気が休まるのです。

鈴木: さっき、係長に叱られたよ。忙しいから、いちいち聞くなって。

同期: それはまずいよ。そんな単純なことを質問したら、コイツはこんなことも知らないのか、って思われるよ。

鈴木: やっぱり、そうか。自分で探すより、よく分かっている人に訊いた方が早いと思ってさ。

場面3:教育係の先輩と立ち話

鈴木さんが昼食から戻ると、山田先輩が声をかけました。

山田: 係長から聞いたぞ。君はA社の担当なんだ。新入社員だろうがなんだろうが、君が担当なんだよ。自分の仕事は自分で責任を持って進めないと。つまらないことを聞いたら、君の評価が下がる。しっかりしろよ!

鈴木: 僕が軽率でした。すみません。

場面4:融資期限の2週間前(ひとり言)

鈴木: まいったなあ。A社の事業計画書はまだまだ不十分だ。これじゃ、審査が通らないんじゃないかなあ。でもどうすればいいのか。過去の融資案件の資料は見たけど、どう直せばいいのか、よくわからない。 だれかに相談しないと…。でも、係長からは「忙しいんだよ、いちいち聞くな」と言われたし、山田先輩からも「自分の仕事は自分で責任を持て」と言われたし。同期も「コイツはこんなことも知らないのか」って評価が下がると言うし。実際、みんな忙しそうで聞きにくいし…。A社が融資の期限にしている日まであと2週間。ヤバい。

場面5:融資期限の1週間前

それから何の進展もなく、鈴木さんは悶々と独りで悩みながら1週間が過ぎました。そんな月曜日の朝、山田先輩が鈴木さんに声を掛けました。

山田: 鈴木君、そういえば、A社の案件、その後何も聞かないけど順調に進んでるの?

鈴木: いやっ、それが実は…(状況説明)

山田: えっ、何やってんだ! 期限まであと1週間だぞ。

(二人は係長席へ) 山田: 係長、すみませんが、鈴木君のA社の案件が…(状況説明)

係長: 君がついていながら、どういうことだ!!

二人: 申し訳ありません。

係長: 山田、鈴木と一緒に今すぐA社に行け。5000万の融資が妥当かどうか、キミの眼で判断してこい。妥当なら、審査が通るように事業計画の書き直しをアドバイスしてくれ。融資の申請書は水曜日までに提出だ。僕はこれから審査部に行く。水曜提出で金曜までに審査を終えるよう、頭を下げて頼み込んでくる。

二人: わかりました。

=====

読者の皆さんは、このケースから新入社員の鈴木さんにどんな課題があると思いますか。

新入社員の鈴木さんは、自分で調べれば分かることを係長に訊きました(場面1)。そこには、訊くほうが早い、という安易な姿勢と訊けば教えてもらえるという学生意識があり、教育を受ける立場から仕事をする立場への意識転換ができていないことが象徴的に表われています。昼休みはいつも同期と一緒に過ごす行動(場面2)には、もちろんそれ自体問題ではありませんが、付き合いやすい同世代の仲間とだけ付き合う姿勢が表れており、多様な世代、役割の人々とのコミュニケーションする姿勢に欠きます。その結果、「自分の仕事は、自分で責任を持て」と山田先輩からたしなめられることになります(場面3)。さらに、「自分で責任を持て」を一義的にすべて「独力で」と捉えた鈴木さんは、委縮して動けなくなります。融資期限が迫っているにも拘らず、相談できなません(場面4)。そこには、みんな忙しそう、という遠慮や、訊いたらまた叱られる(評価が下がる)という優等生意識、助けを求めなければならないことと自力で解決すべきこととの切り分けができない問題もあります。

現実には、仕事はチームで行われます(場面5)。担当者は責任者であり、担当者が仕事を回さなければなりません。しかしそれは、誰の助けも借りずすべて自力で遂行するということではなく、担当者がトリガーになって周囲を動かせ、という意味に過ぎないのです。自分ですべきことと助けが必要なことの切り分けが前提ですが、自分にできることをした上なら、周囲はサポートしてくれるはずです。担当者一人の失敗は個人に留まらす、顧客の損害になり、自社の損失になるからです。

なお、このケースからは、企業側・管理者側のサポートのしかたについても改善すべき点がありそうなことが窺えますが、それはひとまず棚上げします。続きは次回に譲ります。

大学で教えるということ4:学生を覚醒させる

4月から、企業の協力により、その企業が新入社員研修で課すレベルの課題を与え、グループで解決策を提案させる授業「Wake up! プロジェクト」がスタートしました。履修対象は全学部の1年生です。この科目は課外学習が週3〜5時間必要なのでその覚悟をもって履修してほしい、と周知しての開講でした。教養教育中心の1、2年次はいわゆる「楽単」科目で単位を稼ぎ、就活のある4年次はゼミと卒論だけにしたいと考える学生が多い中、新規開講で上級生からの口コミ情報がなく、授業外の負担が重い科目に果たして学生が集まるかと不安でした。

ところが、42名の定員に対し履修希望申請者は132名。グループ学習のため履修者を増やすことはできず、希望理由書を元に選抜せざるを得ませんでした。「将来、起業したい。会社を経営したい。この授業で力を付けたい」という将来への意志、意欲が十分な学生たちが10名くらいいました。本来なら真っ先に履修許可すべき学生たちですが、彼らにはご遠慮いただきました。その意欲があれば、私の授業を取らなくても自力でさまざまな経験を積み重ねられると判断したからです。一方、「ディスカッションや人と係るのは苦手で、自分にできるか不安です。でも、自分を変えるきっかけにしたい。」そんな不安層の学生は積極的に履修を許可しました。

「高校までの受け身の勉強ではない何か、これまでとは違う何かを大学教育で得たい。」学生たちの希望理由書を読むと、渇望感ともいうべき感情が溢れていました。前回のコラムで書いたように、大学がこのニーズに応えられなければ、秋学期以降、学生たちは学ぶ意欲を失っていくのも頷けます。私もその一端を担う教養教育の責任の重さを感じました。

とは言っても、大学1年生たちは未だ「高校4年生」です。意欲はあっても、体は指示待ち。教師がお膳立てした学びの場で、正解を教えてくれるのを待つ体質が染みついていますので、「教師に答えを訊くな」、「自分のことばでノートを取れ」、「活字や教師や社長などの権威を信じるな」 そんな話から授業は始まりました。全15回の授業の中で、企業の協力により2回の課題解決プロジェクト(各、授業5回分)に挑みます。教師である私は、課題解決の手法を教えません。企業担当者には、大学1年生だからこの程度、とハードルを下げずに、部下に接するのと同じように厳しい態度で臨んでいただくようお願いしました。

1社目は教育業界の企業で、テーマはインドネシア進出プランでした。ディスカッションでは、「ネット以外で、どこから情報を集めればいいですか?」正解のある問題を解くことに慣れた学生たちは戸惑います。「現地調査に行くことはできないよね、では代案は?」と私は問います。「インドネシア料理店に行ってみる」、「大使館はどうかな」。そんな声が飛び交いました。企業へのプレゼンでは、「君は一体なにを解決したいの?」、「それはアイデア先行。当社がやる必然性があるのか」、「ネット検索することがプロジェクトじゃない。頭に汗をかきながら考えるんだよ」と手厳しい指摘が企業担当者から浴びせられました。こうした真剣勝負を通じて、学生たちが主体的に考えて動く、を自己発見していってほしいという意図です。

5月末、1社目のプロジェクトを終えて、学生の出席率はほぼ100%。週当たりの平均課外学修は4時間20分でした。初めは遠慮がちなお話合いだったディスカッションの場が、少しずつ議論になりました。「悔しい。この失敗は次に活かす」と学生たちは言います。大学受験という一人作業で培った能力を、組織集団の中でどう発揮すればよいかを失敗経験から学んでいます。

このプロジェクトは、事業企画やマーケティング手法を学ぶビジネス講座ではありません。リアルなビジネス課題を題材にしつつ、問題の本質を探り、課題解決のため必要な情報を収集・分析し、予定調和の正解ではなく自分たちの解を導く。その作業を通じて「失敗」という痛恨の思いと共に学生を覚醒させ、主体性を身に付けさるのが目的です。課題解決のアプローチはビジネスだけでのものではありません。自分が解明したいテーマを設定し、そのために必要な文献を漁り、調査や実験を通じて仮説を立て、証明し、自分の結論を導く・・・学問へのアプローチそのものです。

早く、学生たちを学問の入り口に立たせたい。自分の解を求める主体性を獲得できれば、分野は違ってもそれぞれの専攻分野で、自律的に学ぶことができるはずです。そうした学問追及の姿勢こそが、社会人としての基礎力になると信じています。キャリア教育の役割は就職対策ではないのです。

6月、2社目のプロジェクトが始まりました。学生にとっては、前回の失敗から学びリベンジする機会になります。

-----

大学で教えるということ3:それから

大学の教壇に立つようになり、1年が経ちました。 秋学期は、キャリアデザインB、キャリア・ケーススタディ、ビジネス・コミュニケーションと、無謀にも3科目を立ち上げました。春学期の経験から新規開講科目は、1回の授業準備に丸2日必要ですので、準備だけで毎週6日潰れる計算です。きついとは分かっていましたが、思い切って踏み出さなければ何も始まらないと思い、始めました。でも、やればできるものです。乗り切れました。授業を創る、という強制力が働いて、やり切れたのだと思います。言い訳になりますが、そのためこのコラムも半年中断してしまいした。

終講時の学生アンケート調査では、授業満足度は5段階評価で3科目とも平均4.5以上。出席率は、春は履修生が1年生中心で90%を超えていましたが、秋は2〜3年生が半分で85%。それでも、教養科目で80%越えはかなりよいと聞きます。「単位のためにと思い軽い気持ちで受講したのですが、この1年間で一番ためになった授業だと思いました」、「今までに受けたことがないタイプの授業内容でおもしろかった。かなり実践的で汎用性のある内容で、一般教養独特の時間を無駄にしているのではないかという焦燥感がなかった」など、望外の評価も得ました。

教員が学生を評価するように、学生も教員を品定めしています。 話が上手とか、ユーモアがあって面白いとか、そんなことは重要ではないのです。実際、私は話がうまいわけではありませんし、ユーモアのセンスもありません。ただ、このテーマで学生に何を伝えるのか、そのために何を話せばよいのか、どんな授業法が有効なのか、を実直に考えて実行しただけです。教員が真摯な態度で授業に臨んでいるか、に学生は敏感です。ことばと態度に誠意があれば、下手な話でも学生は耳を傾けてくれるのです。

学生の高評価にホッとし、初めは単純に喜びました。でも、新規開講でまだ荒削りの私の授業がなぜこんなに評価されるのか、不安になり出しました。他の教養科目はどうなっているのか?

秋学期の開講時、私の科目を3つとも履修しようとしている1年生が少なからずいました。「キャリア科目は学期に1つでいい。いろいろな教養科目を取って、視野を拡げてほしい」とたしなめまたところ、「他に興味のわく教養科目がないんです」と言われ、私は返すことばが見つかりませんでした。ある3年生との雑談では、「1年の春学期はみんな概して真面目で、大学で学ぼうという意欲があります。でも、夏休みが空け秋学期が始まると、変わっていくんです。教養科目は楽単(楽に単位が取れる科目)のみを履修し、授業中も寝ていたり、他の科目のレポートを書いていたり、無駄話したり。真面目に取り組む学生もだんだん影響を受けて、周りがそうだから自分もテキトウでいいか、となっていきます」と言います。「教養教育は崩壊している」と漏らした教員もいました。

根は真面目で意欲をもって入学してきた学生たちが、初年次の教養科目でやる気を喪失させていく。確かに私自身、大学1年の頃、早く専門科目を取りたい、と思った記憶があります。今に始まったことではないにせよ、教養教育の改革、またはリメディアル(高校までの教科の学び直し)に留まらず自律的な学びを促す初年次教育が、各大学の大きな課題になっています。

私が勤務する大学でも教養教育の改善が検討されています。しかし、なかなか前に進まない現状があります。企業出身の私からすると、考えられない悠長さです。でも、全体が進まないなら、できるところから個々に進めればよいだけのことです。いわば、ゲリラ戦術です。できるところから始め、実績を知ってもらい、心ある教員に気づかせ、巻き込み、広めてゆく。

そこで4月からは、PBL: Project Based Learningという授業手法による科目を新設します。ちょっとベタですが、名付けて「Wake up! プロジェクト」です。いくつかの企業の協力により、その企業が新入社員研修で課すレベルの課題を与え、グループで解決策を提案させ、企業の方が上司の視点で評価コメントする。チームワークの稚拙さや論理構築の甘さを徹底的に叩いてもらって現実の厳しさを思い知らせ、学生を覚醒させる。荒療治ですが、それにより大学生活で何を学ぶか、動機付けを行うのが目的です。高校までの教科ではなく学問に取り組みたい意欲のある大学1年生、言い換えると授業に出席するのが当たり前の「高校4年生」意識の段階で、あらかじめ用意された正解を求めるのはなく、自分の解を探す学問の姿勢を身につけさせたいのです。

国立の中でも上位に属する大学に合格した学生たちです。学習能力も意欲もあるのに、それらを発揮する場がなく、満たされず腐っていく。その悪循環を打破すること。自律的な学びの姿勢に転換させ、学業を充実させることが、将来、社会人として企業組織に入ったときの基礎力になるはずで、これもキャリア教育の一環だと考えています。